有馬稲子現在ケア付きマンション老人ホームブログは?徹子の部屋

有馬稲子現在ケア付きマンション老人ホームブログは?徹子の部屋 芸能
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こんにちは。
うらりんです。

有馬稲子さんというと私の親世代の女優さんで、ちょっと遠い存在です。

今でも、元気で若くいられて、昔の女優さんだから、なんてちょっと軽く思っていたのですが、老人ホームに住んでいると言うのも、実は有馬稲子さんの生い立ち、生育環境を考えると、複雑な思いです。

「徹子の部屋」(2016/03/03放送)より、まとめました。

有馬稲子現在ケア付きマンション老人ホーム

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ケア付きマンションに住んで10年になります。

洋服の収納は、洋服の棚だけは、大きくしてあります。

有馬さんの住んでいるケア付きマンションの入居資格は50歳(55歳?)以上で、元気な人でないと入れません。

食堂もあり、俳句の会とか同好会が36個くらいあります。

大広間からレストラン、温泉などもある、こちらのマンションのようです。

住所は神奈川県横浜市都筑区新栄町14-1

横浜市営地下鉄「仲町台」駅より徒歩10分

地上14階、鉄筋コンクリート造(一部鉄骨造)

値段 700万円~1,500万円

管理費 50,950円~60,840円(1名増えるごとに24,280円追加)
修繕積立金 11,300円~15,400円
ライフケア運営保証金 (1名)500,000円(2名)800,000円(退去時精算金なき場合無利息返還)
食費 54,290円(1名)※単品ごと計算

有馬さんは、ガーデンの会に入っています。

森林浴ができるくらい2駅分くらいあるので、歩こうと思えば何時間でも歩けます。

お寿司が大好きなんです。

のどにポリープができて手術して2年になりますが、年のせいでなかなか声が(ガラガラ声)治らないそうです。

有馬稲子さんと原節子さん

有馬さんが若いころは、だいたい外国の女優さんが好きと言うのですが、ヴィヴィアンリーとかマリリンモンローとか言いますでしょ。
そう言う人はもちろん好きなんだけど、原さんだけは、ちょっと違うんですね。

それよりもっと親しみをこめて、大・大好きな人だった。

ものすごくステキだったんです。

1回、ご一緒したんですがね、そのときあまり原さんいい役ではなくて、白黒のない役だな。なんて思ってたけど、それでも「東京暮色」の原さんステキですよ。

マスクをかけてお出になったのね。

マスクをおかけになっても、ものすごく美人なんですね。

今までいろんな方を見たけれど、原さんほどキレイな人は、空前絶後。

キレイな上に、女優としたしっかりした信念をもって、絶対にぶれないんですね。

若くておやめになっちゃったんですからね。

あの信念の強さというのは。

あと立ち振る舞いのキレイなこと。

「晩春」でお嫁さんのかっこうをして、お座りになってお父様にご挨拶をなさるところ。

その姿のいいこと。

セリフのキレイなこと。

あんな女優さん、ちょっといないですね。

それくらい尊敬しています。

演技の勉強したってわけじゃないのに、どうしてあんなにも原さんだけ原さん独特のいいかたでおっしゃるんです。

あんなステキな人いないですね。まず、もう。

(原さんのエピソード、2分ほどでしたが、早口でばばばっておしゃっていて、こちらがビックリでした^^;)

有馬稲子プロフィール

本名:中西 盛子(なかにし みつこ)
生年月日:1932年4月3日
出身地:大阪府豊能郡池田町
(現:池田市)
血液型:A型

父が共産主義者だったため官憲に追われ、祖母が4歳の稲子を釜山にいる、父の実姉の中西かねの下に連れて行き、幼年時代を日本舞踊の師匠である母と釜山で過ごします。

釜山公立高等女学校に入学しますが、間もなく終戦を迎え、伯母の手配で引き揚げ船に乗り、小さな漁船で命からがら下関に引き揚げたことが、鮮烈な原体験となっています。

下関に帰国し、当初は引き揚げ船で知り合った人物の世話になるが、小倉で1ケ月滞在するも、大阪にいた実の両親が彼女の生存を知り、再会します。ところが、実父の虐待や弟妹達との関係が上手くいかず、自殺を考える時期もありました。

1945年秋、大阪府立夕陽丘高等女学校に編入。

1948年、友人から薦められて受けた宝塚音楽学校に入学。

昭和24年、宝塚歌劇団に入団、たちまちトップスター。

昭和28年、映画界に転身し、「東京暮色(小津安二郎)」など、出演総数は70数本を数える。

昭和36年有馬稲子さんは市川崑監督の愛人で、流産した後に萬屋錦之介さんと結婚しますが4年ほどで離婚。

昭和44年に、実業家と再婚しますが、昭和58年に再び離婚します。

それ以降、独身でお子さんもいません。

昭和55年にはライフワークとなる「はなれ瞽女おりん」と出会い、以来684回の驚異的な旅公演を重ねて全国の演劇ファンの期待に応えた。

2008年の源氏物語千年紀に各地で朗読した「源氏物語」は、豊かな表現力と人間描写で人気を集め、有馬源氏と呼ばれた。

有馬稲子ブログは?

いや~びっくりです。

いまだにお元気で、快活にお話しされていますけど、有馬稲子さんのブログがあるんですね。

おそらく代理の方が、打ってるのではと思うのですが、ご本人がブログ更新しているとか???

それにしても、人生経験が豊富だからなのでしょうか。

お話しの内容がとても濃くて、内容もすばらしく充実した時間でした。

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