実写の「ど根性ガエル」がはじまりますが、アニメ版のヒロシの声優をされた野沢雅子さんが、 『あさイチ』(2015/7/10放送)に出演です。
野沢雅子さんの若い頃の美人な画像や旦那さんや娘さんについてや、声優になった始まりなどをまとめました。
野沢雅子 若い頃の美人な画像!
傘寿を過ぎた野沢雅子さんですが、若い頃、舞台に立たれていた初々しい感じが良いです。
髪型がすでに鬼太郎・・・「ゲゲゲの鬼太郎」のころ
引用:【カラー映像】 昭和43年の女性声優 VOICE ACTRESS 1968
おそらく「ど根性ガエル」のころかと思います。
引用:http://blog.goo.ne.jp/tawashin/e/cfb7b141560c2e45ac73d4f112ac7fae
「銀河鉄道999」のころ
野沢雅子 旦那や娘は?
ご主人は声優の塚田正昭さん(2014年他界)です。
出合いの始まりは、野沢雅子さんがある時、劇団仲間と車で移動中にバイク事故を目撃しますが、見た全員が「あのバイクに乗っていた人は死んだ」と思う程ひどいものでした。
ところが、その人こそが夫となる塚田さんだったのです。
どういう出会いと縁でつながるか、わかりませんが衝撃的な出会いですね!
@JIRETTACJ @yumeba_MW マコさんは大人の男性が好きだったんやと思います!
亡くなったご主人 塚田正昭さんも誠実さが感じられる大人な方でした 披露宴の正昭さん マコさん pic.twitter.com/WINMWwSyXb— トモヒコ (@tomo558) April 10, 2016
イケメンです!
今日1月21日はBLEACHの
山本源流斎重國の誕生日!!
おめでとうございます!!
cv.塚田正昭さん#BLEACH#塚田正昭#山本源流斎重國生誕祭#山本源流斎重國生誕祭2019#1月21日は山本源流斎重國の誕生日#RTした人全員フォローする#相互希望 pic.twitter.com/VN3Irq5MXj— LiSAっ子ジョジ民ソラッピー (@ILoveLiSARitter) January 20, 2019
一人娘の由華さんがいますが、一般人として生活をしているようです。
1969年の「週刊TVガイド」4月4日号でのインタビューで、当時幼稚園に通っていた娘の教育について語っているので、1960年代半ば生まれと考えると、現在50代半ばになるので、お孫さんがいても不思議ではありません。
野沢雅子さんは、子供には干渉しない”アンチ教育ママ”です。
声優として
野沢さんというと、「ゲゲゲの鬼太郎」の鬼太郎、「銀河鉄道999」の星野鉄郎、「ドラゴンボール」の孫悟空など、子供番組にはかかせない声優さんですが、野沢さんが声優をはじめられたころは、「声優」という言葉がありませんでした。
(イラストレーターという言葉も、昔は「挿絵画家」って言っていたんですよね。)
ともともと劇団にいたので、雑誌のインタビューで「声優さんですよね」っと聞かれると、「私、違います。声優じゃありません。舞台女優です。」と答えていました。
今では声優をはじめからめざす人が多いですが、そのころは、声優さんという存在は、一人もいませんでした。
野沢さんの場合、最初からアニメを担当していたわけではなく、洋画の吹き替えの生本番を担当していました。
まだ野沢さんが20歳くらいで、若くて舞台に立っていたので、怖いもの知らずだったことからできたそうです。
生本番だったので色々ハプニングもあり、なかでもお手洗いに行って帰って来ない人がいました。
そうすると、その場で年齢の一番上の人がリーダー的になって、パッと指をさしてくるので、指されたら自分がやらなきゃいけないから、目が合わないようにしていたそうです。
とちったら生本番なので、そのまま流れてしまいますからね。
舞台だけでなく、生のドラマも経験しているそうですが、舞台をやっていたので、アフレコやるよりは、そんな違和感はなかったそうです。
今は大人もアニメを楽しむのは当たり前ですが、昭和の頃、アニメは、子供向けの印象が強かったと思います。
「ゲゲゲの鬼太郎」が大ヒットした時、野沢さんは「アニメーションで、こんなヒットしてなんなんだろう」と分けわかんなかったそうです。
時々イベントなんかあると「イベント?」だいたい劇団だと、そんなイベント事などありません。
それでイベントに出て、鬼太郎のセリフを言ったりしていたのですが、あるデパートの屋上でイベントがあったとき、鬼太郎の大きな被り物が置いてあって、野沢さんに「これ、やってください」って言われて「えっ~私がですか??(重くて)こんなのでセリフ言えませんよ、だいたい立ち上がれません」と言ったら、他に中に入れる人を探したんですが、被ってセリフを言えると思われていたそうです。(今は、被り物自体、軽いらしいですが)
それで、他の人が被り物に入っているのを、袖で見ながらセリフを言いました。
もちろん子供たちからファンレターが来ますが、野沢雅子さんではなく「鬼太郎」宛てです。
「銀河鉄道999」の鉄郎も人気で、映画版の方がちょっとハンサムになり、声もアニメ版は、ちょっと子供っぽいというか、甘えた感じですが、映画版は、少し成長した男の子ぽい感じで演じていました。(そう言われてみれば、そうかもしれない。)
あらいぐまラスカルの秘話
「鬼太郎」人気の後、1977年に放映された「あらいぐまラスカル」のあらいぐまの声は、なんと野沢雅子さんが、オーディションを受けて出演しました。
「あらいぐまラスカル」のディレクターがもともと、「ピコリーノの冒険」のディレクターをやっていて、野沢さんはピノキオの役をやっていたのですが、終わるといつもお茶を飲んで、色々話をしていました。
ところがある時、ディレクターが「今日は、行けないんです。」って言うから「どうして?」と聞くと、「”あらいぐまラスカル”のオーディションがあるんです。」
「動物がしゃべるの?」って聞いたら「いえ、鳴くだけです。」野沢さん「えっ私にオーディション受けさせて」と言ったら、鳴くだけなので断られます!
それでも野沢さんは、「鳴くだけだから、受けたい」で、受けさせてもらって、受かることになりますが、あらいぐまの鳴き声なんて知らないので、動物園へ10日くらい通います。
なぜ10日間かと言うと、あらいぐまは鳴かないから。
昔「野生の王国」という動物番組があったのですが、野沢雅子さんが、たまたまその番組を観ていたら、ちょうどあらいぐまがチョコチョコ出てきて「クェッ」と鳴いたのを聞き、それで「これっ!!」とインプットします。
Youtubeなんて、ありませんからね。
それでラスカルの台本に、人間の主人公が、ラスカルに話しかけるシーンで「ラスカル何か食べたい」とセリフがあると、野沢さんは、台本にはないけれど「ぼく、氷砂糖食べたいよ」と台本に書いて、実際には(氷砂糖食べたい)という気持ちで、「ッゥクゥ~ン」と言っていたそうです。
ふつうのセリフなら言えるけれど、鳴き声だけで表現できるのは、勉強できると思ったそうです。
ちなみに「ドラゴンボール」など3役でしたが、3人分のギャラではなかったそうです。
キャラクター作りどうやるんですか?と聞かれますが、色々役作りはあるんですが、こういう性格だから、こういこうとか。
でも野沢さんはインスピレーションで、絵をみててマイクへ行く間にすっ~と出てくるんですが、今まで原作者とかディレクターにこうしてくださいとか言われたことがないです。
舞台をされていただけに声量がすごいのですが、1回だけ車を運転していたときに、クーラーがキライで真夏に窓開けっ放しで、渋滞にあったそうです。それで、歌を歌っていたら声帯に排ガスが全部ついてしまい、音がなくなってしまったんです。
それで病院へ行ったら、「普通の人だったら普通に声が出るのに1年かかるけれど、君なら1ヶ月で出るかな」と言われたんです。
仕事あるし、どうしようと思ったら、先生にすぐ治療してもらって、僕が言うように言ってね。って上を向いてあっ~と言ったら、声が出たんです。そしたら先生に「こんなの見たことがない。国宝級だ」って言われました。
今までの人生で、声が出なくなったのは、この1回だけだそうです。
野沢雅子さん声優になるきっかけ
声優になろうと思っていたわけでなく、日本に小さい劇団って仕事がないので最初のころは、収入源をマスコミに頼るんです。
テレビのないころは、映画です。劇団のためだったりもするのですが、マスコミへお仕事へ行くときは、肩身の狭い思いで、先輩を前に「すみません、これから仕事行ってきます。」「行っておいで」「ハイ」という感じで出かけていました。
そんな中、人生ですごい影響を受けたのが旗和子さんという劇団の大先輩で、トップ女優さんでお芝居がすばらしくて賞をとっているくらいの方。
ある時、野沢さんが21歳のころ、舞台のキャスティングが発表になったのですが、砂をかぶった目も見えない気が狂った今で言う浮浪者の80のおばあさんの役になってしまったんです。
主役は23歳の女性なので、自分の年齢じゃないですか。野沢さんとしては、そちらの役をやりたいわけです。
役として、やりたくないわけです。それで、「私のいただいたおばあさんの役は、すごく難しい役で、年齢的には旗さんのやっている役の方が年齢も近いので、やりたいんです。旗さんだったら絶対このおばあさんの役をすばらしく演じられると思うので」って言ったら「そうだよね、まこ(野沢さんのこと)がやった方が、もちろん良いに決まっているよ。でもね私には、この女性しかできないんだよ。まこはできるんだよ。」って言われて、その言葉がうれしくて、やったんです。
それで劇団の上の方から賞をいただいて、それがきっかけで上へどんどん上がれたんです。
今あるのは、その方のおかげです。
「銀河鉄道999」の別れのシーンは、野沢さんたちも録音しながら泣いたそうです。
野沢雅子さんの美の秘訣は?
のん気なのがいんじゃないか。
くよくよしない。
どうにかなる命さえあれば。
声よりも健康を気にしているだけ。
野沢雅子さんプロフィール
本名:塚田 雅子(旧姓:野沢)
出生地:東京府東京市荒川区日暮里
8歳 – 18歳(群馬県沼田市)
生年月日:1936年10月25日
叔母の佐々木清野は松竹蒲田の女優
父は画家(誠和画廊)の野沢蓼洲(りょうしゅう)
野沢さんの変幻自在な声は、芸術一家の賜物でしょうか。
まとめ
個人的に一番印象に残っているのが、からっと明るいキャラクターが、野沢さんの声とマッチしていた「いなかっぺ大将」の大ちゃんです。
「ど根性ガエル」は、初回を観たことを、なぜかはっきりと記憶していて、ぴょん吉がヒロシのTシャツにくっついたのも、もちろん覚えています。
物心ついた時から野沢さんの声にはなじんでいて、子供時代を野沢さんの声のアニメに彩られたと言っても、言い過ぎではありません。
あらためて考えると、お礼をしなきゃいけないかも^^;
年収は?とか、話題になるようですが、ドラえもんの声、大山のぶ代さんなんて家政婦さんがいるくらいなんだそうです。
大山さんと肩を並べる、もっと?だとしたらスゴイのでしょうね。
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