今年でデビュー60年目のこまどり姉妹が「徹子の部屋」(2018年10月25日放送)に出演。
こまどり姉妹について、まとめました。
こまどり姉妹の年齢現在は?
1938年(昭和13年)2月16日生まれで、共に80歳で現役で歌っています。
ほんとうに黒柳徹子さんが、こまどり姉妹に合えたことをうれしそうにしています。
今でも月に4~5回、仕事をしているそうです。
全盛期のころは、月に興行が25日~30日(地方の移動の時間があったのだと思います)
北海道に渡ったら1月は、周ります。
こまどり姉妹の顔の化粧が怖い?
管理人が子供だったウン十年前、たまたま「こまどり姉妹」の公演を見に言った事があります。
間近でこまどり姉妹を見たのですけれど、とっても小柄で「化粧ぉ~なお~しーて♪」と歌った歌声を、今でも覚えています。
何かのイベントで確か無料で見られたのですが、その頃、こまどり姉妹は40代くらいだったと思いますけれど、今と同じくらい、お化粧が濃かったです。
女性は、一番良かったころのヘアスタイルやお化粧を、ずっと続けているという人がいますけれど、こまどり姉妹も、そんな風なのかなと思いました。
確かに、お姉さんのアイラインは、ラインじゃなくて、目を大きく見せるために、ドットみたくなってしまってますが、それはいいんです。
女性は、いつでも自分がキレイと思えるように、自分で良かれと思ってしているのです。
傍から見て、怖いだろうが、自分が満足していればいいのです。
それに、舞台映えを意識していると思います。
ただ、舞台とテレビは違うのですが、それもいいの。
黒柳徹子さんなど、そういったこと、全てひっくるめてわかっていると思います。
お父さんが炭鉱で働いて、貧しくて食べるために11歳のころから流しをして、そういう生い立ちを黒柳徹子さんは、よくわかっています。
こまどり姉妹の映画
こまどり姉妹は、貧しい中で、レコードを買うお金もないので歌を覚えるときは、パチンコ屋さんのそばに立って、雨が降っても雪が降っても、聞こえてくる音楽を聞いて覚えたそうです。
その話を、黒柳徹子さんは、今でも忘れないで覚えていると言います。
そういう一生を描いた映画があります。
DVD「映画 こまどり姉妹がやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!」予告編 https://t.co/NQEWiLhWPZ @YouTubeさんから
— 池乃こいし (@369doughnut) 2018年10月25日
徹子の部屋
美空ひばりさんには、ずいぶんかわいがってもらい、美空ひばりさんから「あなたたちの歌、スキよ」と言われたことがあるそうです。
なんでも「三味線姉妹」と言って、こまどり姉妹の歌を歌ってくれて感動したそうです。
自宅に、いつも呼んでいただいて、結婚した後も、呼んでくださいました。
お土産に着物の反物をくださったりしたそうです。
こまどり姉妹の名前の由来も、最初は「さくらんぼ姉妹」という名前が決まっていたのですが、美空ひばりさんに憧れて、鳥の名前にしたくてつけました。
ところが当時は、名前が戒名みたいで長いと言われいたとか。
上京して浅草に行ったとき、三味線が弾ければ流しをする場所を貸しても良いと言われて、一週間で覚えたそうです。
お姉さんが好きなのはお魚で、妹さんはお肉が好きなのだそうで、浅草の「ステーキハウス松波」が、おすすめのお店です。
今日の徹子の部屋のお客様は、今年でデビュー60年目のこまどり姉妹。80歳を迎えた現在も元気と若さを誇るが、その裏側には命が危ぶまれた闘病など幾多の困難が…。今日は 第二の地元である浅草を自ら街歩きでご案内! 2人を支えるエネルギーとなる「食」の秘密も特別に公開。それは一体? pic.twitter.com/724gKxcBGv
— 池乃こいし (@369doughnut) 2018年10月25日
妹さんは30代で末期がんになり、一応芸能人なので顔を見られないようにと、当時、1日7万円の個室で入院していましたが、それで、お姉さんは、その工面で大変だったそうです。
保存した輸血はダメで、お姉さんから直接、生の血を輸血していました。
食べられなくて、バナナとアイスクリーム、チーズ、この3つだけ1年中食べていました。
『三味線姉妹』は、11歳のころから流しをしている話しを遠藤実先生に話したところ、それをもとにして作ってくれた歌だそうです。
【SUNOSU JUKE BOX】♪
おすぎさんが選んだ
”もうすぐ敬老の日 今も、現役のシンガーたち!”
2曲目はこまどり姉妹の『三味線姉妹』
今年で芸歴58年になる双子の演歌歌手こまどり姉妹は79歳。#KBCラジオ #サンデーおすぎ #radiko #こまどり姉妹 pic.twitter.com/Ek5kOzTneh— サンデーおすぎ (@kbc_osugi) 2017年9月10日
末期がんから生還して、姉妹そろって今でも歌えるのは、ほんとうに不思議で、とにかく生きていることに感謝すると言います。
そんなこまどり姉妹に、黒柳徹子さんは、これまで一番のどん底は?と聞くと、食べ物がなくて、その辺に生えている草を食べたりしました。
戦後で、みんなもなくて困っているけれど、そのころ3日、4日食べなくても生きてこれたので、それを思うと生きていられるそうです。
最後に、「こまどり姉妹を見ていると、もっと頑張らないとと思う」黒柳徹子さんがの言葉に管理人は、そうとう涙腺やられました。
まとめ
こまどり姉妹のご苦労をよくわかっていらっしゃる黒柳徹子さんの気遣いに、つい感動してしまって涙してしまいました。
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