かつて女性らしいとされていた、きついコルセットにふんわりとしたスカートなど、華美で窮屈なファッションをことごとく過去のものとしたのが、20世紀ファッションの革命的デザイナーココ・シャネルです。
「時代が私を待っていた…」というその作品、そして言葉や生き方はいまも人々を魅了しています。
ココは、仕事場から逃げ出して、カフェでモンブランを楽しんだの。つかの間の休息を楽しんでいたのよ。
ココシャネルは、ファッション界に革命を起こし今も世界を魅了続けるデザイナーです。
伝統的なファッションを次々と過去のものとし、ついた呼び名は「皆殺しの天使」
シャネルが愛して止まなかったのが、モンブランです。
一人カフェで楽しむ時間を、生涯大切にしていました。
それが彼女の救いだったの。
生涯を通して求めていました。
ココシャネルの人生を、栗のお菓子モンブランから紐解きます。
グレーテルのかまどココシャネルのモンブランのレシピは?
フランスの伝統菓子としては、モンブランはメレンゲと生クリームと栗、この三つの組み合わせが基本です。
材料:
直径6~7cm 5個分
メレンゲ(15個くらい分になります)
卵白 60g
グラニュー糖 50g・・・ステップ1
グラニュー糖 60g・・・ステップ2
マロンクリーム
マロンペースト 240g・・・製菓材料店で入手可
マロンクリーム 80g・・・製菓材料店で入手可
バター 80g
ホイップクリーム
生クリーム 160g 乳脂肪42~45%
粉砂糖 8g
仕上げ:粉砂糖 適量
マロンペースト(渋皮ごとつぶしたもの)にマロンクリームを、少しずつ加えて固いへらで混ぜる。ペーストとくらべて、クリームは香りや甘さが強いです。
この2種類を混ぜてコクを出す。
柔らかくしたバターを加えて、ミキサーで全体がふんわりするぐらいまで、少し白っぽくなるまで混ぜる。
さらに美しくするために、裏ごしします。
材料の栗のつぶやダマが残っていると、細く絞っている最中に切れてしまいます。
生クリームに粉砂糖を加えて、氷水で冷やしながら角が立つまで泡立てる。やわらかいと組み上げた時にマロンクリームの重さでつぶれてしまうため、しっかりと。
焼きあがったメレンゲに、ホイップクリームを直径15mmの口金でドーム状に絞る。
マロンクリームをモンブラン用の口金で縦と横に絞り、ホイップクリームを覆います。
余分な栗は、後で取り除くので、ここでは一定の強さでクリームを絞り出すようにします。
パレットナイフ等で余分なクリームを取り除き、冷蔵庫で冷やし固めます。
仕上げに粉砂糖をふって完成。
作り方
モンブランの土台となるメレンゲを作ります。
卵の白身を泡立てます。
ピンと角が立つくらいに泡立てます。
グラニュー糖を50gを少しずつ加えます。
最初は混ざりにくいので、少しずつ入れます。
途中で、ゴムベラを使い、砂糖の粒子を調整します。
グラニュー糖を60g加えます。
ゴムベラで混ぜすぎないのがポイントです。
ざっくざくのサクサクになります。
すぐに絞り袋に入れます。
直径5.5cm のメレンゲを作ります。
絞る位置の高さを変えないように調整して、直径5.5cmの円形に絞ります。
120°で2時間オーブンで焼きます。
グレーテルのかまどココシャネル老舗サロン
スイーツの都パリ。
さまざまなお菓子がこの街で生まれ、世界の人々を魅了してきました。
その一つが日本でもなじみ深い栗のお菓子・モンブラン。
パリでも大人気です。
とりわけこのモンブランを好んだのが、世界に名だたる一大ブランドを築いたファッションデザイナーココシャネル。
20世紀初頭、常識を打ち破るファッション、ブラックドレス、イミテーションジュエリー、シンプルな帽子、と次々と生み出します。
女性たちの熱狂的な支持を集めます。
「時代が私を待っていたの私はこの世に生まれさえすればよかった」
絶対の自信と強い言葉の数々で知られるココシャネル。
そんな彼女が30代の頃からひとり静かに、時を過ごしていたのが老舗サロンです
Salon de The Angelina(サロン・ド・テ・アンジェリーナ)現在、日本にあったお店は閉店しています。
Aujourd’hui le salon de the #Angelina fete la journee du Mont-Blanc dans ses adresses parisiennes https://t.co/xZRaU95Iof #2novembre
— Marie Claire (@marieclaire_fr) 2016年11月2日
当時、上流階級の社交場だったこのサロン。
シャネルは時間を見つけて、ここを訪れていました。
大きな鏡の前がシャネルお気に入りの席です。
向かいのフレスコ画を眺めながら食べていたのが、この店の名物のモンブランです。
当時の味や形もそのままに、今もこのお店を代表する一品です。
サクサクのメレンゲの上にほんのり甘い生クリームをのせ、マロンクリームを細く絞って飾ります。
アルプス山脈の最高峰モンブランから着想を得たというお菓子です。
このモンブランが誕生したのは、1920年代です。
パリは空前の焼き栗ブームでした。
これに目をつけたサロンの創業者が、栗のお菓子を作ろうと考えます。
女性客の心をつかむため、マロンクリームの飾り方に一工夫加えました。
ドーム型の山に、女性の髪型のイメージを重ねたんです。
当時の女性たちの間で、耳の下くらいの短い髪型が流行りました。
The flapper style was greatly influenced by Coco Chanel who embodied the modern woman. pic.twitter.com/rFqbYji4C0
— As Time Goes Buy (@DareToDeco) 2014年11月12日
髪型に見せて、マロンクリームを一本一本乗せて飾ったのです。
シャネルはこのモンブランに並々ならぬこだわりがありました。
マロンクリームはその年の栗の出来に左右されます。
彼女はその栗の味に敏感だったんです。
「あら、マロンクリームを変えました?」「別の栗を使ったの?」
それほどマロンクリームが好きだったんです。
モンブランの虜になったシャネルは、愛するお菓子とひとときを過ごすために通い続けました。
シャネルが活躍し始めた20世紀初頭、コルセットで体を締めつけた上に、ふんわりとしたドレス。
それに大きな帽子を身につけてるのが、女性の正しい装いでした。
そんな華美なスタイルが、女性の生き方を縛りつけていると考えたシャネル。
自分が自由でいられる洋服を次々と発表します。
女性達の圧倒的な支持を集めます。
今でもファッション界の伝説です。
シャネルは1883年フランス西部の田舎町ソミュールに生まれます。
行商人の父親、母や兄弟と慎ましく暮らしていました。
シャネルから幼少期の話を聞いていたという人物がいます。
シャネルの伝記を手がけた作家のクロードドレさんは、晩年のシャネルには、歳の離れた親友として、グレさんにだけ幼少期の思い出を打ち明けていました。
(シャネルの故郷では)栗なんて毎日食べるパンのようなものだった
シャネルは、(栗に)あのカフェで再会したの。
シャネルの故郷は豊富に栗が取れましたが、シャネルの貧しい家では、栗はパンの代わりで、栗は家族で囲んだ楽しい食卓の味だったのです。
ところがシャネルが12歳の時、母が病死して、父親は子供たちを修道院に預けて、姿を消します。
父親が彼女を置き去りにして、二度と戻ってこなかったことは、生涯の心の傷となり、決して塞がらなかった。
心の傷を埋めてくれたもの、それが懐かしい栗のモンブラン。
それを楽しめるカフェでした。
(あのカフェ)救いの場所だったの。
ココは、生涯を通して救いの場所を求めていたのよ。
強く華やかな女の代名詞となったシャネルですが、モンブランはそんな彼女にささやかな救いの時間をくれたお菓子だったんです。
56歳で、ファッション界からいったん身を引いたシャネル。
しかし71歳でカムバックします。
第二次世界対戦が終わり、平和が訪れた頃、男性デザイナーたちが提案したのは、絞ったウエストにふんわり広がるスカート・ニュールックです。
昔ながらの女らしい服が、再び流行し始めたのです。
これに対し、シャネルが打ち出したのがシャネルの代名詞ともいえる、シンプルで実用的なスーツでした。
自分の美学を貫き通した87歳で亡くなるまで、生涯をファッションにささげました。
亡くなる2時間前まで一緒に過ごしていたというグレさん。
シャネルが通っていたサロンを訪れました。
座るのはもちろん大鏡の前のシャネルの指定席です。
シャネルは、モンブランとデートをしていたと言います。
人が何を残せるのかといえば人生の中で何を考え何を愛してきたかということだけ
ココシャネル
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