90歳を過ぎても料理研究家として現役で活躍された鈴木登紀子さんは、かわいらしくおしゃれで人気の料理研究家として知られます。
そんな鈴木登紀子さんの夫の職業や結婚のなれそめ、ばあばと若い頃の画像などをまとめました。
鈴木登紀子 夫の職業は?
鈴木登紀子さんの夫の清佐(きよすけ)さんは5~6歳年上で、サラリーマンだったそうです。
鈴木登紀子 結婚のなれそめは?
1946年終戦の翌年、23歳で夫清佐(きよすけ当時29歳)と、地元青森でお見合い結婚をします。
初めて会った印象は「カッコイイ」と思ったそうです。
それから70年余り寄り添うことになり、「赤い運命の糸」と感じたなんてステキです。
ばあばと若い頃の画像!
それにしても清佐(きよすけ)さんは、若い頃かなりのイケメンですが、晩年もイケていると思います。
残念ながら清佐さんは、鈴木登紀子さんよりも早く、2009年にお亡くなりになられています。
鈴木登紀子 料理教室のきっかけ
ふつうの主婦だった登紀子ばぁばが、まだ女性の社会進出が進んでいない時代に、料理研究家として活躍できたワケを紐解いていきます。
結婚後、夫は、すぐに仕事を求めて青森から上京します。
戦後の物資の乏しい時代で、日々の食料の確保に精一杯の毎日です。
何もないとは言え、煮物など、一度粗熱をとってから、再び火にかけることで味が浸みこむと、ひと手間かけることです。
そんな情熱が、平凡だった主婦の運命を変えることになります!
1961年カラーテレビ放送が開始され、クーラー、自動車と新三種の神器として、目の前が豊かになっていく時代が始まります。
登紀子ばぁばの結婚生活は15年目となり、3人の子育てが落ち着いたころでした。
子供が、近所の庭に勝手に入って遊んでいたことを、とても申し訳なく思い、ある時、手作りのおせち料理を持って行ったところ、とても美味しい感激されたことをきっかけとして料理教室をはじめます。
1970年雑誌に、登紀子ばぁばのお料理を雑誌に掲載されることになります。
夫へのうしろめたさを感じながらも料理にのめりこみますが、このとき、口数の少ない日本男児だった清佐さんは「そうかい」それだけです。
そっけない一言に思えますが、登紀子ばあばに関心がないわけではなく、夫婦として歩む上で、登紀子ばあばの才能を認識し、サラッと交わしたのかもしれません。
雑誌の連載を始めることになりましたが、どんな料理をのせれば良いか迷います。
編集者からは、「登紀子さんにしか作れない主婦ならではの、料理を紹介していほしい」とオーダーされ、そこで思いついたのが「登紀子ばぁばの幸せ和食その壱100円どんぶり」です。
そんなアイデアが浮かぶのも、夫の理解があったからこそと思い、とてもありがたく思っているそうです。
お互いを尊重しつつ日々を営んできたからこそ、自然と感謝の念が出てくるのかもしれません。
平凡ながらも温かい家庭のぬくもりのある料理は大絶賛され、料理研究家としての仕事が続々と舞い込むことになります。
そしてついに、NHKの番組に出演の要望に、夫の清佐さんに告げると、ここでも「そうかい」のそっけないような一言を返されますが、以来、40年出演することになるのですから、清佐さんの一言は絶大なパワーが込められていたと考えるのは、大げさでしょうか?
それからさらに忙しくなり、月の半分は、撮影だったそうです!
鈴木登紀子 料理教室 料金は?
お料理教室は、吉祥寺の自宅やNHKのカルチャーセンターで時々行われていました。
facebookより鈴木登紀子ばぁば Granny Tokiko
#手抜きができるようになれば大したもん 「”上手な手抜き”なんてあり得ないの。そもそもお料理の基本を知らない人が、どうやって手を抜こうというのかしら?」 pic.twitter.com/OL4uifhBci
— 登紀子ばぁばの料理きほんのき (@A0qAqzhFjWmSa8r) November 13, 2020
教え方は、登紀子ばぁばの手書きのレシピを見ながら、登紀子ばぁばのデモンストレーションを生で見て覚えます。
そんな教室のルーツは、登紀子ばぁばの幼少期に、いつも台所で母のお千代さんのそばにいて、面白いなと思って見ていたからだそうです。
生徒さんの評価は「何も余計なことをせず、レシピ通りやると完璧にいきます。」
2022年現在、登紀子ばあばの次女の安藤久美子さんが、ばあばから教わったお料理などの料理教室を吉祥寺で開催しています。
料金は、一汁一菜教室が5000円、ワンデーレッスンが11000円です。
以下のメールアドレスより申し込みができるようです。
kumiko5060@ozzio.jp
あぶ玉丼のレシピ作り方
油揚げ1/2枚を細切りにし、カツオのだし汁に入れ、みりん大さじ1、薄口しょうゆ大さじ1/2で味付けします。
卵でとじたら2分で完成。
鈴木登紀子 太巻きのポイント
登紀子ばぁばの太巻きで1番のこだわりは、「酢飯」になります。
合わせ酢を全体にかけたら、「切らず」ではなく「ならして」酢を均等にして、「ならした」あとに「切る」
すると、米粒に輝きが出てきます。
もう一つの特徴は、太さにあります。
小さいとつまらないので彩り良く、かんぴょう、しいたけ、卵焼き、でんぶを具材にします。
この太巻きは人気で、教室で教えて欲しいと要望が多いのですが、作ると、どうしても切れ端が出ます。
それをご主人に出すと「そうか」と一言返事するだけ。
ときには、同じ料理が何日も続きますが、それでも夫清佐さんは、文句を言うことなどありません。
男らしく、優しい人だったそうです。
登紀子ばぁばにとって、夫清佐さんの「そうかい」の一言で、励まされ、自由にやらせてもらったと思っているそうです。
登紀子ばぁばの料理への並々ならぬ思いは、すばらしいですが、一番近くいた夫清佐さんには負担だったと思います。
ところが、新婚時代に、おせちを作っていたとき、寝るまも惜しんで作るっていると、夫清佐さんが心配します。
ところが登紀子ばぁばは、「ここで手をかけるとうんと味が違うんです」
そんなきっぱりとした様子に夫清佐さんは、「楽しいかい」と一言。
それに対し、登紀子ばぁばは「ええ、楽しいわ」登紀子ばあばの笑顔が浮かびます。
すると夫清佐さんは「それならいいね」と、お互い安心したのでしょう。
この距離感が70年間ラブラブだった秘訣のかもしれません。
夫清佐さんにとって何よりも大切に思っていたのは、登紀子ばあばが好きなことに没頭し、楽しそうなこと。
登紀子ばぁば85歳のとき、夫清佐さんが病院へ通っていたときのこと、知人と会話していると「見てくださいよ。」病院の待合室のテレビに映る登紀子ばぁばのことを「あれはうちの女房なんです。すごいでしょ」
そっけないような日常会話ですが、苦々しく思うどころか、夫清佐さんの登紀子ばあばの活躍に対する誇りが伝わります。
金目鯛の煮物
夫清佐さんが亡くなっても続けていることは、金目鯛の煮つけとしじみのお味噌椀をお供えしていること。
金目鯛は、冬食べると美味しいお魚です。
登紀子ばあばの愛情と感謝が伝わってきます。
まとめ
登紀子ばあばと夫清佐さんの日常会話は、密ではなかったのかもしれないけれど、お互いの距離感をおのずと察し、言葉にできない信頼と愛情で結ばれていたように思います。
コメント
私は、八戸市小中野町の生まれです。
中学生の時、上京しました。
あっと言う間に、私もばあばになりました。
八戸の出身の方で活躍して居られる方は、
登紀子ばあば以外思い当たる方はいらっしゃいません。
登紀子ばあばの様なばあばになりたいです。
小林淑子様
コメントをいただきまして、どうもありがとうございます。
料理研究家の方は、どの方も、みなさん周りから大切にされている人が多いように思います。
美味しいお料理を作られる人は、みなさん、やることが丁寧だと思います。
その時、その時を大切に生きておられたら、鈴木登紀子さんのようになれるのでは。
鈴木登紀子さんは八戸出身ですが、確かに鈴木登紀子さん以外で、有名な方は知りません。
料理教室へ行ってみようかと思い電話をしたら、90歳すぎているとは思えず、しっかりした方だったので、興味半分で行くのは失礼だなと思い、それっきりになっています^^;