女優の有馬稲子さんが老人ホームで生活されているとのことで、どのような生活なのか「徹子の部屋」(2016/03/03放送)より、まとめました。
有馬稲子現在ケア付きマンション老人ホーム
有馬さんは、横浜にあるケア付きマンションに住んで10年になります。
その生活ぶりは、元宝塚のトップスターなだけあり、洋服の収納にこだわり、洋服の棚だけは大きくしてあるそうです!
有馬さんクラスが入居するケア付きマンションの入居資格が気になりますが、50歳(55歳?)以上で元気な人でないと入れません。
食堂もあり、俳句の会とか同好会が36個くらいあります。
大広間からレストラン、温泉などもある、神奈川県横浜市都筑区のマンションのようです。
管理費 50,950円~60,840円(1名増えるごとに24,280円追加)
ライフケア運営保証金 (1名)500,000円(2名)800,000円(退去時精算金なき場合無利息返還)
食費 54,290円(1名)※単品ごと計算
有馬さんは、こちらのガーデンの会に入っています。
敷地は広く、森林浴ができる2駅分くらいの広さで、歩こうと思えば何時間でも歩ける環境の良さです。
有馬稲子さんと原節子さん
有馬さんが若いころは、ヴィヴィアンリーとかマリリンモンローなど海外の女優さんを好きと話題にしました。
もちろん、そういう方も好きなのですが、原節子さんは別格です。
有馬さんの中では、もっと親しみをこめて、大・大好きな人だったそうです。
身近にされていたからこそでしょうが、ものすごくステキだったと感情がこもります。
1回共演された時、原節子さんの役がいい役ではなく地味な役だと思っていたのですが、それでも「東京暮色」の原さんステキですよ。
マスクをしていようが、原節子さんのキレイさは際立っていて、有馬さんの中では、原さんほどキレイな人はいないそうです。
しかもキレイな上に、女優としたしっかりした信念をもって、絶対にぶれない。
内面からのキレイさがオーラとなっていたのでしょうね。
しかも42歳の若さで引退してしまうい潔の良さは、周りを驚かせます。
「晩春」でお嫁さんのかっこうをして、お座りになってお父様にご挨拶をなさるところなど、立ち振る舞いのキレイなこと。
セリフのキレイなことなど、一つ一つが全てキレイで、原節子さん以外で思いつくような人はいません。
当然のごとく、有馬さんにとっては尊敬する人です。
演技の勉強したわけではないのに、有馬さんには、原さんの独特な存在感にひたすら憧れているようです。
有馬稲子プロフィール
本名:中西 盛子(なかにし みつこ)
生年月日:1932年4月3日
出身地:大阪府豊能郡池田町
(現:池田市)
血液型:A型
父が共産主義者だったため官憲に追われ、祖母が4歳の稲子を釜山にいる父の実姉の中西かねの下に連れて行き、幼年時代を日本舞踊の師匠である母と釜山で過ごします。
釜山公立高等女学校に入学しますが、間もなく終戦を迎え、伯母の手配で引き揚げ船に乗り、小さな漁船で命からがら下関に引き揚げたことが、鮮烈な原体験となっています。
下関に帰国し、当初は引き揚げ船で知り合った人物の世話になるが、小倉で1ケ月滞在するも、大阪にいた実の両親が彼女の生存を知り、再会します。ところが、実父の虐待や弟妹達との関係が上手くいかず、自殺を考える時期もありました。
1945年秋、大阪府立夕陽丘高等女学校に編入。
1948年、友人から薦められて受けた宝塚音楽学校に入学。
昭和24年、宝塚歌劇団に入団、たちまちトップスター。
昭和28年、映画界に転身し、「東京暮色(小津安二郎)」など、出演総数は70数本を数える。
昭和36年有馬稲子さんは市川崑監督の愛人で、流産した後に萬屋錦之介さんと結婚しますが4年ほどで離婚。
昭和44年に、実業家と再婚しますが、昭和58年に再び離婚します。
それ以降、独身でお子さんもいません。
昭和55年にはライフワークとなる「はなれ瞽女おりん」と出会い、以来684回の驚異的な旅公演を重ねて全国の演劇ファンの期待に応えた。
2008年の源氏物語千年紀に各地で朗読した「源氏物語」は、豊かな表現力と人間描写で人気を集め、有馬源氏と呼ばれた。
有馬稲子ブログは?
そして有馬さんは現在こちらにブログがあるんですね。
まとめ
有馬稲子さんというと管理人の親世代の女優さんで、ちょっと遠い存在です。
今でも、元気で若くいられて、昔の女優さんだから、なんてちょっと軽く思っていたのですが、老人ホームに住んでいると言うのも、実は有馬稲子さんの生い立ち、生育環境を考えると複雑な思いです。
それにしても、人生経験が豊富だからなのでしょうか。
お話しの内容がとても濃くて、内容もすばらしく充実した時間でした。
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