田宮二郎さんのドラマ「白い巨塔」を最初から全部見たいと思っているのですが、なかなか時間がなくて見られないのが残念。
悲劇的な亡くなり方をされていて、それが良かったのか、渋いころの田宮二郎さんのまま、ずっと時は止まっているように思えます。
そんな中、田宮二郎さんの妻の柴田幸子さんが、没後40年を経て初めて明かした真実「田宮二郎の真相」が発売されると話題になっているので、まとめました。
田宮二郎(藤由紀子)妻柴田幸子のプロフィール
藤由紀子(ふじ ゆきこ)
生年月日:1942年12月17日
本名:柴田幸子(旧姓:佐藤)
出身地:東京市城東区(現在の東京都江東区)亀戸
出身学校:松竹音楽舞踊学校に通い、大妻高等学校
1961年、松竹に入社すると、井上和男監督「熱愛者」で端役デビュー
エレガントな美貌で注目されますが、テレビドラマの出演にあたり会社と対立したことから1962年、松竹を退社します。
フリーでテレビドラマ「人間の条件」などに出演すると1962年12月に再デビューの形で大映に入社します。大映でも大型新人として一フジ(藤由紀子)、二タキ(滝瑛子)、三スガタ(姿美千子)と売り出されます。
「黒シリーズ」では全11作中6本に出演、主演の田宮二郎と息の合ったコンビネーションを見せました。
時代劇でも市川雷蔵主演の「手討」「剣」、勝新太郎主演の「駿河遊侠伝・破れ鉄火」などに出演し、大映映画に欠かせない存在になりつつありましたが、1965年5月、22歳の時、同じ大映の田宮と結婚します。
1966年、長男の柴田光太郎、1967年、次男の田宮五郎を授かります。
柴田幸子さんが36歳の時、田宮さんはお亡くなりになってしまいます。
田宮の死後は、「子供を育て上げることが田宮二郎の遺志であり、自分の喜びでもある」と、女手一つで子供たちを育て上げます。
田宮二郎(藤由紀子)妻柴田幸子の最近現在と自宅?
藤由紀子さんでググったら、出てきた画像が「藤村志保さん!」
田宮さんの死後、元麻布の自宅を解体した上で外人向けのマンションを建て、オーナー兼管理をしています。
それ以外にも、フジテレビを退社して「彩の会」というドラマ企画を立ち上げた、「白い巨塔」のプロデューサーの小林俊一とともに、多少は番組制作に携わったこともあるらしいです。
長男の光太郎さんと生活を共にしていましたが、平成14年2002年3月に、光太郎さんが結婚をすると、福島に移り住み、「家族カウンセリング」という仕事を始めます。
2012年、脳出血を患い歩行に障害が残っていますが、聡明な瞳に、語り口も元女優らしいのだそうです。
長男の光太郎には、3人の孫にあたる子供がいます。
田宮さんとの思い出は、楽しいことも苦しいことも記憶がないまぜになっていますが、今も色あせることはありません。
田宮二郎(藤由紀子)妻柴田幸子の年齢と若い頃の画像!
引用元:https://blog.goo.ne.jp/ken401_001/
現在、柴田幸子さんは76歳です。
田宮さんは7歳年上なのでご存命なら、83歳です。
書籍には、田宮さんが残した夫人あての遺書が掲載されていますが、ほんとうに田宮さんは、夫人のことを愛し、大切にしていたのだということが良くわかります。
日本映画の黄金期の監督、井上梅次監督は、115本の映画を撮っていますが、筆頭に位置するのが、石原裕次郎と田宮二郎なんだそうです。
180cmの長身で目立ち、学生のころから美輪明宏さんとも交流がありました。
また、海外では、自分でいろんなことを交渉してしまうくらい、英語が堪能でした。
映画のポスターの序列をめぐって映画界から干されてしまい、家族を養うために、キャバレーのドサ周りをしていたことなどから、貧乏することはないようにと、必死で頑張ったことで、精神を壊してしまいます。
田宮さん本人は、薬を拒絶していたのですが、あまりの症状の激しさに、なんとか薬を飲まそうと夫人は試みをしていたようです。
あの日から40年が経ちます。偲んでくださる方々、ありがとうございます。何枚か写真を出します。 pic.twitter.com/bX4Vm9twhW
— 柴田光太郎 (@shibatakoutarou) 2018年12月28日
いまだったら考えられませんが、それでも田宮さんの役者としての魅力があったからだと思いますが、躁うつ状態でも周りが支えてくれたことで、なんとかドラマに出演をします。
|
まとめ
36歳で、最愛の人を亡くすなんて、考えられません。
マスコミには一度だけ記者会見をして出てきて以降、ほとんど外へ出ていませんが、そんな若くして愛する人を失ってしまったのだから、無理もないと思います。
コメント