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エキゾチックな雰囲気のデヴィ夫人の娘のカリナ・サリ・デヴィ・スカルノさんは、普段、どんな生活をしているのか気になります。

カリナ・サリ・デヴィ・スカルノさんの出身大学や経歴、旦那さんのフリッツ・フレデリック・ゼーガースさんの経歴についてまとめました。

カリナ・サリ・デヴィ・スカルノ大学どこ?

カリナ・サリ・デヴィ・スカルノさんの出身大学は、アメリカのバインマナーカレッジ(4年制の女子大学)になります。

マサチューセッツ州ブルックラインにある私立のリベラルアーツカレッジになります。

カリナ・サリ・デヴィ・スカルノの旦那フリッツ・フレデリック・ゼーガース

カリナ・サリ・デヴィ・スカルノの旦那フリッツ・フレデリック・ゼーガース
フリッツ・フレデリック・ゼーガースFrits Frederik Seegers

オランダ出身

1959年生まれのようです。

出身学校:デルフト工科大学、シカゴ大学

1989年ドイツのシティグループに入社

日本のディビジョン・エグゼクティブについていたことがあるそうです。

2001年から2004年まで、シティバンクグループのアジア太平洋地域向け個人向け銀行業務部門の最高責任者。

2005年12月2日にカリナと結婚します。式は、ロンドン、バリ、東京で行われました。

2006年にシティグループからイギリスのバークレイズ銀行に入社

2006年時点で、入社にあたり3年間で、850万ポンドの現金および株式報奨金を支払うと発表しています。

ゼーガース氏は、基本報酬として70万ポンド、2006年のボーナスとして1.6百万ポンドを獲得し、さらにパフォーマンス関連のボーナスとしてさらに100万ポンドを獲得する予定です。

桁違いで、計算が・・・

2009年、ゼーガース氏は、バークレイズを辞任したようですが、その後はわかりません。

働かなくとも十分蓄えができて、リタイアしているかもしれません。

カリナ・サリ・デヴィ・スカルノデヴィ夫人娘の経歴とプロフィール

デヴィ夫人娘カリナの夫旦那画像金持ち!日本語や学校!デヴィ・スカルノ
カリナ・サリ・デヴィ・スカルノ

生年月日:1967年3月7日

国籍:インドネシア

父はインドネシアの故スカルノ大統領、母はデヴィ夫人

3歳で、スカルノ大統領と死別すると、デヴィ夫人とともにフランスへ

 

14歳から反抗期で、お母さんとはあまりうまい関係ではなく「もし私の子供でなかったら仕事なんてできない。生きていけない」と言われ、それは大学へ入ってからも続きます。

1986年、3歳の時にインドネシアを出国以来、16年ぶりにインドネシアに一時帰国。

1987年、20歳、ボストンの大学に入学。

卒業をしたら、みんな親から独立する姿を見て、だんだんお母さんから独立したいと考えます。それは、アメリカ人は、誰々の子供だからとか、お金持ちとか関係なく、みんなバイトをしたりして自分でお金を稼いで自立していました。

ヨーロッパでは、いつまでも子供をかわいがって日本と似た環境だったかもしれません。

そんな中で、アメリカの考え方が新鮮で影響を受けます。

1991年、24歳、ボストンの大学を卒業。

アメリカは競争社会ですが、卒業した時点で、特別これといった資格がなかったことと、日本がバブル期で興味があり、将来はアジアの時代だと考えていました。

自分自身、半分は日本人なのに日本に住んだことがなかったので来日しますが、仕事が見つかりませんでした。
とろこが、アメリカに帰ると電話が着て、コメンテーターの仕事があるから来てくださいとオファーがあり再び来日します。

それまで日本のことは、軽井沢とサムライ映画、サンリオのパティとジミーしか知りませんでした。

1992年、25歳、日本でテレビのコメンテーターを務めますが、泳げないのに、オリンピックに出て泳がされたように感じます。

そんなエリートの人たちと仕事を始めたことで、がんばらなきゃと思うようになります。

1993年、26歳、テレビの仕事は、日本だけしか通用しないので、キャリアを考えて、広告代理店に就職。初めての仕事は、クライアントのパーティーでお客様にお花を渡すことでしたが、アメリカでは考えられない仕事で泣いてしまったそうです。

1995年、28歳、もっとキャリアを積もうと、4月からアメリカの広告代理店に勤めることに。

それ以外には、フリーのレポーターの仕事をすることを考えますが、ヴィヴィアン・ウェストウッドで仕事をしていたと言う情報もあります。

アムステルダムに本部がある、アメリカの財団で働きます。

その後、インドネシアの子供たちの将来を支援するKSF(カルティカスカルノ財団)を設立。

娘カリナのFacebook

インスタグラムは、同一人物かどうか不明で非公開としてあったので掲載は差し控えます。

カリナ・サリ・デヴィ・スカルノ

デヴィ夫人の娘カリナさんにとって、両親が有名であることは、良いところだけではありません。

ヨーロッパでは、「スカルノ大統領の娘」「デヴィ夫人の娘」ということで、どこでもちやほやされ、うらやましがられました。

外から見たら、お金持ちの生活で、ヨーロッパで育ったことやパーティーなど、きれいに見えますが、プライベートには、それなりに問題はありました。

子供の頃は、おとなしい子として言われていました。

一人で本を読むのが好きで、ベビーシッターとして育ててくれたのは、日本人で、デヴィ夫人が日本にいたころから、家のことを手伝ってくれていた人でした。

とてもかわいがってもらいましたが、デヴィ夫人は、いつも出掛けていて兄弟もいません。

一番幸せだったのはスイスにいたころで、大きな庭があり、大きな犬と湖にはスワンがいて、エサにパンをあげたりしてすごく幸せでした。

小さいころは、デヴィ夫人のことをすばらしい人だと思って、お母さんのためになんでもしたかったそうです。

お母さんが幸せで、自分も幸せで楽しい生活でした。

ところが、カリナさんが12歳の時、本当に育ててくれた日本人のベビーシッターさんが、70歳近いこともあり、日本へ帰国してしまいます。デヴィ夫人は、仕事や恋愛に忙しく、カリナさんは寄宿舎に入ることになり、人恋しくて泣いたそうです。

ところが寄宿舎の子供たちは、国が戦争しているとか、両親が離婚するとか、いろいろ事情を抱えていて、語り合ったことで、一緒に成長していった感じがあります。

これは本当に特別の友達で、家族という実感がないから、友達が家族でした。

人生のターニングポイントは、大学生の時で、それまでずっとフランスの学校に通っていたのですが、大学はアメリカに行ってみたいと考えました。

ヨーロッパ人から見ると、アメリカは、とってもチャレンジっぽいところがあり、それでボストンの大学へ入ります。

ヨーロッパにいたころと違い、「スカルノの娘」ということをみんなは知らないので、アメリカに来て、初めて自分の年齢にふさわしい生活を送れるように感じられました。

でも、そのころはお母さんにお金を出してもらっていたので、まだお母さんの言いなりでした。

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デヴィ夫人娘カリナの日本語!

カリナさんは、大学を卒業すると、日本語をもっと勉強したくて来日し、テレビのコメンテーターとして仕事を始めますが、日本語もままならないのにも関わらずいきなり生番組に出演。

大変だったようです。

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