泉アキさんと言えば「女の60分」に出ていた印象が強いのですが、もともとは歌手だったんですね!
明るくて、元気いっぱいの印象ですが、久々に「徹子の部屋」(2018年11月12日放送)に出演するのでまとめました。
泉アキのプロフィール
生年月日:1950年2月4日
出身地:愛知県名古屋市
父親がインド系アメリカ人(アメリカ軍属)で母親が日本人ですが、父の顔を知らずに育ちます。
母が再婚しますが、義理の父から虐待を受け、養子に出されるという境遇。
身長158センチ。
出身学校:小野女子学園女子高等学校
1966年、日本テレビの「あなた出番です」で優勝
後の「スター誕生」のような番組だったのでしょうか。
1967年、17歳でクラウンレコードより「恋はハートで」でアイドル歌手としてデビュー。
「夕焼けのあいつ」が全国的にヒットして一躍人気者となります。
1972年、22歳の時に、桂菊丸と結婚。その後二女をもうける。
1975年、テレビ朝日「独占!女の60分」でアタッカー(リポーターの番組内呼称)として出演。
タレント活動の他、スキューバダイビングや自動車レースなどにもチャレンジ、FIA国際ライセンスを取得し、1984年、第32回サファリラリーに出場(スバルチーム)日本人女性としては初めてのアフリカのサファリラリー挑戦。世界の強豪を相手に16位完走を果たします。
泉アキの娘美人ハーフ年齢?
泉アキさんには、二人のお嬢さんがいます。
ディスクジョッキーのANNAとタレントの大塚安里は娘。
長女のANNA(アンナ)
生年月日:1975年9月22日
出身地:千葉県
ラジオパーソナリティ、ナレーター
血液型:A型
キャストコーポレーション所属。
泉アキさんは、週に5日は、働いているような状態で、家にいることがなく、そのおかげで、お嬢さんは、桂菊丸さんと泉アキさんは、たまたま芸能人で、お祖母さんのことをお母さんと思って育ったそうです。
テレビで見る人たちが、たまに家に帰ってくる。そんなのが18歳まで続きました。
そんなワケで、母の日は、ずっとおばあちゃんにカーネーションを上げていて、泉アキさんにはあげていませんでした。
ある時、桂菊丸さんが、泉アキさんが寂しそうにしているので、メールで「あげたら」と言って、あげるようになります。
お姑さんにしてみると、孫を育てているときが、人生で一番幸せだったと、泉アキさんは言われたことがあるそうです。
泉アキさんは、お姑さんに「こういう育て方をしないでください」とは言わなかったことが、良かったと思うと言います。
中学生になったら、自分の道を決めなさいと言われ、ANNAさんは歌で、妹さんは演技でということで、それで来たそうです。
ANNAさんは、「最初にこの人のところへ行きなさい」と言って、名刺をくれ、それを手がかりに自分で歌のレッスンを通うようになり18歳まで続きました。
交通費もなんとか自分でしなさいと言われて、14歳の時「オレゴンの旅」という番組に出させてもらいます。
15歳の時には、都内のライブハウスで歌うようになり、
1996年6月12日にシングルCD「Heart to you~夜が終わる前に~」で歌手デビューも果たしています。
ラジオの方が面白いなと思って、ディスクジョッキーになります。
2007年、2008年に出産し、2女の母。
43歳に見えないですね。
目元がお母さん、そっくり!クォーターですね。
次女の大塚安里(おおつか あんり)
生年月日:1979年11月30日
タレント。
泉アキの旦那の桂菊丸と結婚!若い頃?
引用元:http://www.s-p21.com/
桂菊丸(かつらきくまる)
生年月日:1941年6月13日
出身地:福岡県
アートプロモーション所属。
4代目桂米丸の弟子。
兄は桂高丸(現在は演芸作家、日高はじめ)熱海在住
アキ流・姑とのつきあい七箇条
1992年、姑(大塚稲子)が暴露本「天に代わりて嫁を討つ」を出版したことをきっかけに嫁姑問題が起こります。
泉アキさんは、甘えん坊で、ずっとお姑さんと仲が良くやっていると思っていたそうです。ある時、泉アキさんとお姑さんが、どうしてこんなに仲が良いかということで生放送に出演した時、
司会者に「こういうお嫁さんだと大変でしょう」と聞かれて、お姑さんが「ハイ」と言って、司会者がどうしますかと言うと「そういう時は、瀬戸物の茶碗を集めて、台所でガシャンチクショウ!とやる」と泉アキさんは聞いて驚いたそうです。
それでも腹が収まらなかったときは、孫の自転車を玄関のドアにぶつけると言われて、泉アキさんは家に帰って、ドアを見たら、確かに凹んでいたそうです。
たとえ泉アキさんに不満があっても、それを表には微塵も出さなかったんだそうです。
菊丸さんは、お姑さんに「もうちょっと教育しなさいよ」と言われると「あーわかったわかった」と言って、泉アキさんに報告しますが板挟みでした。
泉アキも「おごる姑は久しからず」を出版し話題になる。嫁姑問題評論家としても活躍します。
1.姑が動けるうちは、あれこれ用を頼んで徹底的に動いてもらう。
2.嫁は少しくらいバカな方が姑は元気で長生きできる。
3.イビられてこそ嫁、イビリこそ姑の活力剤と心得ておく。
4.一家に主婦は2人もいらない。1人が主婦なら1人は黒子役に徹する。
5.主婦の座にいすわりたがる姑は、徐々に出番の数を減らしていく。
6.嫁姑は合わせ鏡。姑のブスッとした顔は自分の顔と思いましょう。
7.嫁姑関係は「負けるが勝ち」負けたフリの上手な方が得をする。
乳がんになったとき、退院して家に戻るとき、ストレスをためないようにと考えて何がストレスだろうと思うと、ふと声が聞こえてきました。
それは「自分がかわれば、相手がかわる。あなたからおばあちゃんへの思いを変えなさい」そんな声が聞こえたように思って、こちらからお姑さんに「バアバ」と声をかけて、お菓子を出すようにすると、最初は「珍しいわね」と言ってツンとされていましたが、そのうちバアバの方からも「ありがとう」と言ってくれるようになったそうです。
お互いに、思いやりを持てること。
病気になったのは、そういうことを気づかせてくれると思うと、病気も悪くない。
姑の稲子さんは、2017年に104歳でお亡くなりになりましたが、ずっと頭がしっかりしていて、歌を2曲歌って、もう一曲と言ったら「それは、これ以上ご迷惑になるから結構です」と言って、歌ってみんなで拍手をして、それで亡くなったそうです。
最後まで、とてもかわいくて、いまだにANNAさんのお嬢さんなど「バアバへ」と言って、手紙を書きます。
泉アキがん病気?
1997年、当時47歳の時、自分で左胸にしこりを見つけ、病院へ行くと乳がんと診断され、国立熱海病院(現在の国立病院機構静岡医療センター)にて乳房の4分の1を切り取る手術を受けます。
退院して、約3カ月後の1998年3月、夫の菊丸と共にハワイマウイマラソンに出場し、42.195キロを8時間39分で完走します。
乳がんの克服目安である術後10年を目前にした2006年に右乳房にがんが再発し、乳房温存手術を受け、抗ガン剤治療(AC療法)、放射線治療受け、現在も治療をしています。(分子標的療法)
2003年から静岡県の熱海市に移り住み、一から自分たちの手で土地を開墾し、家を造り、農業にいそしむ田舎暮らしをしている。また、立ち寄った奈良・薬師寺の管主により「森羅万象自然界から沢山のことを学ぶ塾」=「畑を耕し、心を耕す場」として「心を耕す泉塾」とこの地を命名される。
最近の芸能活動はTV番組にレポーターとして出演するとともに、全国各地で「乳がん」「介護」「環境問題」などの講演を行っている。
まとめ
ずいぶん、お子さんの時、ご苦労されていますが、そんなことをまったく感じさせずエライです。
ほんと、明るくて元気な印象です。
そのせいか、旦那の桂菊丸さんは、今でこそ髪の毛が真っ白になってしまっていますが、年齢不詳で、とても77歳とは思えません。
嫁姑問題があっても、桂菊丸さんは、マイペースな感じでうまくやっていたのかなと思います。
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