こんにちは。
うらりんです。
世界的にも評価の高い美術家の篠田桃紅さんの作品ですが、すばらしい作品を、手にしたい方も少なくないと思います。
このページでは、篠田さんの作品の価格や販売場所、通販、自宅についてまとめました。
篠田桃紅さん作品の価格や販売?
画廊「銀座桜の木」で篠田桃紅さんの作品を見ましたが、力強さが伝わってきて、その素晴らしさに、ただ溜息でした。
アメリカやヨーロッパで、大変人気と言うのもわかります。
毎日、制作はされているそうですが、作品として発表するのは、ごくわずかなんだそうです。
人気なので、入るとすぐに売れてしまいます。
リトグラフですと、安い物だと3万円ほどからあるようですが、さすがに銀座の画廊で扱われているのは、20万円ほどからで(額縁にお金がかかっている?)、金箔、銀箔、プラチナ箔といったものをベースにした作品では、7桁です。
私が今回観て、とても気に入った作品は、60×90の銀箔に、墨と朱を使った作品で、およそ600万円!
朱と言っても、中国の古い(遼?)時代の土に眠って自然と枯れた朱を使っているとのことで、希少性は言うまでもありませんが、どうもそれを使える(使いこなせる?)作家さんが、他にいないようです。
いわゆる赤というか、オレンジがかった朱ではなく、どことなくピンク味を帯びた朱で、なんとも言えず、若々しくあり、モダンです。
他にも、かなり気に入った作品があったのですが、売約済みでした。
とてもモダンですが、別に伝統破壊というわけではまったくなく、最初は、平安仮名をお手本として書をやっていたのですが、平安仮名というのは、平安時代の女性が、漢字をクリエイトしたもので、その時代の人のクリエイトにはかなわないと思ったんだそうです。
画廊の方のお話しをうかがっていると、篠田さんの根底には日本人としての、自然と共存することを大切にされているようです。
ご自分が亡くなられた後の、作品のことを考えて制作をしているのだそうです。
和紙に墨を使った作品は、基本、和紙に墨の水分が吸収して、それが合いまって作品になりますが、金箔などの箔を使った作品では、墨が吸収することなく、「ノル」ので、墨の色自体が残るのだそうです。
と言っても、濃淡があるので、陰影のような表現となり、モダンでありながらも日本画を思わせるようで、それも魅力なんだと思います。
また、アメリカで生活されていたとき、アメリカは、とても乾燥しているので、墨が練られた状態になってしまい、日本で描くようにはいかないのだそうです。
ギャラリー サンカイビでは、2016年1月13日(水)~2月29日(月)まで、篠田桃紅×今井俊満 常設展が開催されます。
〒103-0007
東京都中央区日本橋
浜町2-22-5
11:00~18:00 (土日祝休廊)
また、銀座桜の木で、2016年2月17日(水)から2月29日(月)まで、「さくらさくら展」が開催されます。
篠田桃紅さんをはじめ東山魁夷さんなどの作品が展示されます。
〒104-0061
東京都中央区銀座5-3-12 壹番館ビルディング3階
TEL:03-3573-3313 FAX:03-3573-3315
AM11:00〜PM7:00 火曜・祝祭日は休
『ギャラリー サンカイビ』 『ギャラリー 桜の木』で、桃紅さんの最新情報がわかります。
篠田桃紅 展覧会 2022東京でリトグラフ値段?図録やグッズ!混雑状況調査!初台オペラシティ
篠田桃紅さん青山の自宅
着物姿が自然で、100歳を越えた今でも凛として現役で活躍する、篠田桃紅さんは、東京青山、築50年のマンションに通いのお手伝いさんの手を借りながら一人暮らしをしています。
取材だからと言って、人がいる前では、描かないそうです。
桃紅さんの描く墨の交差した絵・書は、人と人の交わり出会いを表しています。
親と子の出会い、良い出会いであれば、この世は平和で、楽園になるでしょうが、出会いが悪いと戦争になったりケンカするのです。
一人だったら何もおきないわよ。
篠田桃紅さんプロフィール
生年月日:1913年(大正2年)3月28日
出身地:満州・関東州大連(本籍は岐阜県)
1歳で父の転勤で東京に移ります。
父は旧家の出で、厳格そのもので書や漢詩を嗜む教養人で、6歳のころから書をたたきこまれました。
小さいころから、わがまま強情、協調性なしの子で、女学校へ入ってからも、いつも職員室で問題になるような子でした。
共同生活になじめないと悟り、女学校だけでもうたくさん。待ち構えている結婚話にも尻込みしてしまいます。
なんとか一人でやっていきたいと思い、父母に相談すると父は絶対反対でした。
父の遺言では、絶対結婚することとあったのですが、自分は親不孝の見本だと思うのです。
1936年23歳のころ、書道家として身を立てようと思い家を出ます。それ以来、墨に溺れ、墨に生きる日々が始まりました。
1955年桃紅さんの作風に変化が見られるようになったのは40代になったころで、フランスの記録映画監督ピエール・アレシンスキー 『CALLIGRAPHIE JAPONAISE 日本の書』で新進気鋭の書道家の一人として取り上げられました。
このころ、書の作法を崩し、自由奔放な線を引くようになっていました。
ところが、伝統を重んじる書の世界から、根無し草と酷評されます。
1956年ニューヨークに渡ります。抽象表現が熱いニューヨークで、独創的な作品が評判になります。
桃紅さんの自由な表現に磨きがかかり、滞在した2年間で、水墨の抽象画へと大きく変化します。
1969年、18歳年下のいとこである映画監督の篠田正浩さんの『心中天網島』の舞台装置を依頼されます。
作中の壁に描かれた桃紅さんの絵は、浄瑠璃や歌舞伎を思わせる作品です。
1991年600年の歴史がある、徳川家の菩提寺として栄えてきた東京都港区にある増上寺に、78歳のときの作品が所蔵されています。「ひふみよ」墨を何層にも重ねた四角の目。
篠田桃紅さんコンラッド東京
2005年コンラッド東京『人よ』は、高さ5m、92歳の時の作品です。
コンラッドの作品は、花鳥風月を表現してほしいと頼まれ、半年間アトリエにこもり、作品を練り続けました。
もちろん、建築中の現場にも足を運ばれたそうです!!!
着物で、リフトに乗り、周りが心配する中、「若いみなさん、心配しすぎできすよ」と言われたそうです。
ものの形を映すのではなく、形を生み出したい。
特に意識したわけではないが、自然とそうなりました。
その方向を決めたのは、桃紅さんの性格と墨というものからではないかと思います。
扱いの難しい道具は、ときにやさしく、ときに厳しく翻弄されながら、さぐらされてきました。
それは、人生に似ています。
使う筆は、筆屋さんで売っているものではなく、自分で作らせたものです。
筆を持って使っていたら、ある時、魔法使いのおばあさんみたいと思ったそうです。
100歳をこえると、だんだん無に近づいていると感じます。
作品を描いていると、一切何も思わなくなりました。
筆が勝手に描くという感覚で、何かを表現したいという意識は、まったくありません。
日常が、無の境地に至り、やがて本当の無を迎える。
それが死につながると感じるようになりました。
半分、非現実の世界に生きてきた。空想や、自分の作りたいものとか。
描いていたものの中で、生きてきた。
結婚もしないし、子供も生まないし、そういう生き方を避けてきた。
非常にはかない。
考えることも、作るものも。
作品としては、現実に存在している。
孤独というのは、つらいとか耐えるとか、そういうものではなく、自然の生き物の当然の形なのに、特別に孤独というからいけない。
一人で生まれて、一人で死ぬのだから、孤独は当然すぎる。
人間は、むだなことばっかりやっていて、怖くてみんな真理に向き合っていない。
自分のやっていることに、すぐ飽きちゃうので、新しい自分でありたいと、日々新しいことをするのだそうです。
篠田桃紅さんリトグラフ通販で買える?
大きな作品は別ですが、一般家庭などで飾るような額の入った絵は、3万円ほどから10万円ほどで、楽天などでも販売されていますが、ほとんど完売状態です。
見つかったら、ラッキーくらいに思った方が良いかもしれません。
まとめ
全然、存じ上げなかったのですが、美術家の篠田桃紅さんは、ニューズウィークで、世界に影響を与えた日本人の2人のうちの1人になったことがあるそうですが、もう1人は、なんとあの葛飾北斎!
こんな方が、いらしたなんて。
同じ時代に生きていて、本当に光栄です。
日本で、あまり知られていなかったのは、マスコミに出たがらなかったからだそうです。
100歳と言っても、明治生まれではないんですね。。。
今でも現役で、いとこの篠田正浩さんとは、時々朝までお能の話をしたりとか、話が尽きないのだそうです!!!
画廊で色々お話を伺ったのですが、もっと勉強しないとダメだなと反省でした。
長生きできるかどうかわからないけれど、何ができるのか、改めて考えてしまいました。
(ETV特集「墨に導かれ 墨に惑わされ~美術家・篠田桃紅 102歳~」放送)より、まとめました。
篠田桃紅 展覧会 2022東京でリトグラフ値段?図録やグッズ!混雑状況調査!初台オペラシティ
コメント
篠田桃紅の安い作品は、版画です。
これを書いた人はご存じ無いのでしょうか。
駒井光明様
コメント、どうもありがとうございます。
貴重な情報をいただきまして、どうもありがとうございます。