サザエさんの原作者の長谷川町子さんは、漫画「のらくろ」の田河水泡さんのお弟子さんでした。
弟子入りに来る若者の中でも、長谷川町子さんの才能をすぐに見抜かれた話や、田河水泡さんの若い頃や息子さんのこと、「マー姉ちゃん」で田河水泡さんを演じた愛川欽也さんについてまとめました。
長谷川町子は田河水泡の弟子!
田河 水泡(たがわ すいほう)さんは明治32年(1899年)2月10日、現在の東京都墨田区立川で生まれました。
昭和6年(1931年)1月号から講談社から発行された「少年倶楽部」で「のらくろ」が連載され、当時のこどもたちの人気になります。
それから昭和9年(1934年)の秋、14歳の長谷川町子さんが弟子入りに田河水泡さんの所へ訪れますが、田河水泡さんは32歳です。
長谷川町子(15)メディア初登場時のグラビア
師匠の田河水泡と母親のコメントが掲載
この頃から人見知りだったことが分かる
(大日本雄辨會講談社発行『少女倶楽部』1935年10月号所載) pic.twitter.com/zO8EX0IJi5— 虫塚"KERA"虫蔵 (@pareorogas) June 8, 2019
田河水泡さんは、長谷川町子さんの絵を見ると、絵はうまいし話のセンスに感心し、すぐに才能を認めますが、田河水泡さんが才能を認めるのは、そうあることではなかったそうです。
これを見ると「ポパイ」に出てくるオリーブみたいで今でも通用しそうです。
戦前の少女雑誌 #少女俱楽部 をちょっとだけ入荷。
長谷川町子、田河水泡、杉浦茂
などの漫画掲載。 pic.twitter.com/tCooGGl5YQ— 海星堂(古本/映画・芸能・推理・鉄道・戦前資料) (@kaiseidoshoten) January 26, 2020
田河水泡さんの弟子には、「あんみつ姫」の倉金章介をはじめとし、伊東隆夫、杉浦茂、滝田ゆう、山根青鬼、山根赤鬼、森安なおや、永田竹丸、ツヅキ敏、野呂新平、三好好三などがいました。
あんみつ姫もお年頃
倉金章介・作
集英社刊
明星 1959年発行より pic.twitter.com/0J6tRXOxJD— 馬鈴薯そば (@potatosoba) April 12, 2015
断られるどころか、長谷川町子さんはその才能を認められ、田河水泡さんの所で内弟子としての生活が始まります。
とは言え、田河水泡さんは、長谷川町子さんに漫画について教えることはありません。
自分でアイデアを出して自分で描いていくことが大切だと考えていました。
ところが当の長谷川町子さんは、まだ14~15歳で、田河水泡さんからは、しつけの良いお嬢さんと思われていましたが、家に帰りたくなってしまい、その口実にクリスチャンだったことから教会へ行きたいと言ったところ、結局、それがきっかけで田河水泡さんは、奥さんと共に洗礼を受けることになったそうです。
田河水泡 若い頃や息子?
田河水泡さんの若い頃が、イケメンなんですが!!!晩年のお姿しか知らなかったので驚きましたが、役者でもやっていけそうです。
#マー姉ちゃん
田河水泡とは面白いペンネーム。
最初は本名の高見澤をもじって田川水泡(たかみずあわ)にしていたものの、読み間違いや誤植が連発したりしたので、結局読み方も「たがわ・すいほう」で定着したそうだ。 pic.twitter.com/oaKrGyoFQI— Saitoh Masaya (@MS3110) October 29, 2021
田河水泡さんの本名は、高見澤 仲太郎(たかみざわ なかたろう)と言います。
奥さんの潤子さんは、文芸評論家の小林秀雄の妹です。
その奥さんとの間に昭和17年、息子の高見澤邦郎(たかみざわ くにお)さんが生まれますが、後に都市計画学者で東京都立大学名誉教授になられています。
田河水泡 のらくろ誕生の秘話
昭和6年から講談社の少年倶楽部で連載された「のらくろ」は約10年ほど続きました。
最初は、2年ほどで終わらせるつもりでしたが「のらくろ」が売れに売れ、編集部にファンレターがたくさん来たことで、編集長が2年でやめるのは惜しいと続けることになったそうです。
単行本を出版したり、文具やお菓子、衣服!と「のらくろ」がデザインしたものが販売されるようになりました。
ちなみに講談社へは、コネがあったわけではなく、いきなり講談社へ行ったのだそうです!
最初は大人向けのものを描いていましたが、少年倶楽部に子供向けのものをと仕事が来ました。
少年倶楽部の発行部数は50万ほどですが、当時の子供の人口を考えると、ほとんどの子供は少年倶楽部を買うのではなく、借りて読むか回し読みでしかありません。
借りて読む子供というのは、買ってもらえないか奉公に出ていたり、徒弟になっている子供たちです。
逆境にいる子供たちが優越感を持って笑えるものと、一番底辺にいる「ノラ犬」を主人公にと田河先生は考えました。
少年たちは「のらくろ」の活躍に喜んでファンレターを送ってくれ、押入れにはファンレターで一杯になったそうです。
田河水泡 手塚治虫と同じ年に?
田河水泡さんは、1989年(平成元年)12月12日、肝臓がんのため90歳でお亡くなりになられますが、平成元年というと1月7日に昭和天皇が88歳で崩御され、2月9日には手塚治虫さんが60歳で逝去。
昭和天皇の御製
林
ほのぼのと夜はあけそめぬ静かなる 那須野の林鳥の声して pic.twitter.com/B5hvyD3pK7— 御製 ~敷島の道~ (@gyosei_sikisima) September 24, 2021
松下幸之助さんが4月27日、94歳
本日4月27日は、松下幸之助の命日でした。平成元年(1989)、昭和天皇のあとをおうかのような逝去、94歳でした。https://t.co/rRHxgY1GXa pic.twitter.com/7LzVqIMEVR
— PHP研究所広報??まいにち、つながろう (@PHPInstitute_PR) April 27, 2020
6月24日、美空ひばりさんが52歳
11月6日、松田優作さんが40歳で逝去。
まさしく時代の転換期だったのかもしれませんね。
「マー姉ちゃん」にて愛川欽也扮する漫画家田河水泡が登場。1989年90歳の田河水泡先生です。 pic.twitter.com/MCozghhsAw
— キネコ (@kinekoV) November 3, 2021
田河水泡 愛川欽也がマー姉ちゃん!
朝ドラ「マー姉ちゃん」で田河水泡さんを演じるのは、愛川欽也さん。
昭和9年生まれの愛川欽也さんは、当然のごとく子供の頃「のらくろ」を読んでいて、大ファンだったそうです。
愛川さんが小学校に入ったころに「のらくろ」を読むようになったそうですが、太平洋戦争が始まったころです。
本当に熱中していたのは、愛川さんよりもひと世代上の人になります。
まとめ
大らかな時代だったのでしょうが今でいえば中学生くらいで、人気漫画家の所へ弟子入りするなんて、時代が時代だったとは言え驚きです。
そうは言っても、お嬢さんで育った長谷川町子さんには、弟子入り生活は堪えられなかったみたいで、そんなところはかわいらしいです。
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