松山容子の現在は?家族や夫子供(息子)は?沖縄限定のボンカレー琴姫七変化

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大塚食品の「ボンカレー」のホーロー看板でおなじみの松山容子さんの現在や、家族や夫子供(息子)、沖縄限定のボンカレーについてまとめました。

松山容子の現在は?

松山容子さんは結婚を機に芸能界を引退しましたが、2018年3月5日に発売予定のボンカレー50にビデオメッセージを送ってファンの間で話題になりました。

稀にドラマなどにゲスト出演することがありましたが、ここ30年以上出演の作品はありません。

今でも、十分お姫さまな雰囲気があります。

これと、良く一緒にあったのが、水原弘と由美かおるさんの「アース」のホーロー看板です。

松山容子の家族や夫子供(息子)の現在は?

1971年(昭和46年)3月、「くれないお仙」や主演映画「めくらのお市」の原作者である漫画家、棚下照生と結婚されます。

棚下照生さんは、新宿区役所の裏通りに「恋溜」という飲み屋を始めたそうです。もともと棚下さんは養母を亡くした後、一人で上京し大変ご苦労され漫画家になります。

お嬢さま女優と言われた松山さんと、よくご結婚されたなと思いますが、当時の棚下さんは作品が映画化されて人気絶頂だったのだそうです。

ネットで「松山容子 息子」と出てきますが、詳しいことが出てきません。

飲み屋を棚下さんが営んでいたので、その跡を継いでいるのかなとも思ったのですが、そう言ったことも出てきていません。

2003年、ご主人は、69歳で肝硬変のためお亡くなりになられています。

松山容子は沖縄限定のボンカレー

現在、松山容子さんのパッケージが見られるボンカレーは沖縄限定で発売されています。

管理人は本州在住ですが、何年か前にたまたま近くのスーパーで、このボンカレーを見かけて、つい懐かしくて買ってしまいました。

沖縄限定版ボンカレー中辛10パックセット

懐かしい昭和なカレーの味で、ほどよくスパイシーでやさしい味わいでした。

ちなみに「ボンカレー」の「ボン」は、フランス語で「おいしい」を意味する「ボン」なんだそうでオシャレな名前だったのですね!

お手軽な値段なので、この値段なら非常食にいいかもしれません。

オロナイン軟膏もあった!

松山容子のプロフィール

松山 容子(まつやま ようこ)

生年月日:1937年(昭和12年)11月30日

本名:田中 曠子(旧姓・出井)

旧芸名は松山 清子

出身地:愛媛県松山市

1968年の「ボンカレー」(大塚食品)発売以来、長らくパッケージモデルを務め、CM、ホーロー看板でも知られています。

銀行を経営する名士の家に生まれます。

愛媛県立松山南高等学校のころ、「アサヒグラフ」(1956年2月5日号)の表紙モデルを務めたことがきっかけで松竹の役員の目にとまり、卒業をすると松竹ニューフェイスとして入社します。

松山さんの美貌が目を引いたのでしょうね。

1957年6月4日公開の「勢揃い桃色御殿」に新人女優の松山清子として端役でデビューします。

1959年、芸名を松山容子に改名します。

1960年(昭和35年)、テレビドラマ「天馬天平」で演じた、男装で新撰組と闘う勤皇の姫君・千也姫役が評判となります。

ちょうど「崑ちゃんのとんま天狗」の後番組の企画を練っていたスポンサーの大塚製薬がこの人気に着目し、この千也姫をモチーフとして、松山さんを主演に「琴姫七変化」が製作されました。毎回若武者姿だけでなく、芸者、くノ一、鳥追い・・と、文字通り次々替わる「七変化ぶり」が好評となり、その容姿と華麗な立ち回りから「アクション女優の先駆け」として人気となります。

殺陣の上手さは映画関係者の間でとても評判が良く「古今のチャンバラ女優ナンバーワン」「並ぶ者のいない太刀捌き」と言われるほどの実力でした。


美貌だけではなく運動神経も良かったのでしょうね。

まとめ

ボンカレーのパッケージの松山容子さんのインパクトが強すぎて、美人度が飛んでしまってもったいないと思いました。

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