今となっては懐かしのフランソワーズモレシャンさんの現在や娘のアガタモレシャンさんのこと、旦那さんについて気になったのでまとめました。
フランソワーズモレシャンのプロフィール
フランソワーズ・モレシャン(Francoise Morechand)
生年月日:1936年3月29日
母はフランス人ですが、父は亡命ポーランド人の技師です。
ナチスのパリ占領からトゥールーズに疎開し、パリ解放直前にパリに戻ります。
中国語かロシア語の通訳を目指しますが、敗戦国だった日本の将来性に賭けソルボンヌ大学日本語学科卒業後の1958年に来日します。
自宅でフランス語教室を開きながら、JALや外務省でフランス語を教え、その後、NHKフランス語会話で講師を務め人気になります。
1964年に一旦フランスに帰国し、クリスチャン・ディオールやレブロンを経て、ニューヨークで美容コンサルタントの資格を取ります。
1974年にシャネル美容部長として再来日。
1975年、著書「失敗しないおしゃれ」がミリオンセラーになります。(残念な事に、こちらの本は入手困難なものになっています)
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1991年に「もれしゃん塾」開催。
2004年、母国フランスの最高勲章である、レジオンドヌール勲章を授与された。2009年には、国家功労勲章を授与
2006年以来、金沢にも居を構え、東京と金沢、パリを往復する生活です。
ファッション・エッセイストとして30年来、毎年パリコレクションに参加。ユネスコ日本協会スペシャルアドバイザー。
ファッション以外にも、演劇やバレエ、音楽、映画などのフランス文化の評論家としても活躍。
日経コンデナスト副社長として雑誌ヴォーグVogue Nipponの創刊を手がけ、共立女子大客員教授として教育にも携わります。
フランス政府対外貿易顧問、外地フランス人協会日本地区名誉会長などを務めます。
facebookより、2017年8月12日の投稿のものですが、80歳を過ぎているとは思えません。
フランソワーズモレシャンの娘アガタモレシャンは?
生年月日:1964年9月3日
1996年映画「シベリア超特急」に女優として出演
フランソワーズモレシャンの旦那は誰?
最初の夫、Gui Morechandは社会学者です。
最初の旦那さんと離婚後、1974年に再来日した39歳の時、永瀧達治さんが26歳の時、出会います。13歳年下のフランス映画や音楽評論家のと出会います。
今日の徹子の部屋のお客様は、60年前テレビ番組のフランス語講師として人気を博したフランソワーズ・モレシャンさん。「時代を先駆けた結婚」として注目を集めた夫の永瀧達治さんと登場。まだ国際結婚が珍しかった43年前、夫が妻より13歳年下という「年の差婚」で話題に。金沢での隠遁生活などのお話も pic.twitter.com/B8xhLjdp6T
— 池乃こいし (@369doughnut) 2018年6月13日
永瀧達治さん(1949年~)は、そのころTBSの「モーニングジャンボ」という番組のADをやっていた頃で、当時はADでも20分自分のコーナーをもらえました。
そのコーナーでフランスの事をやって、バックにフランスの音楽を流そうと考えていた時に、たまたま新聞でモレシャンさんが10年ぶりに日本に帰ってきたというのを見て、よびたいと考えていたそうです。
永瀧達治さんは、静岡大学中退、20歳の時にパリ第3大学映画科に在籍し日常生活には困らないくらいのフランス語ができます。
ところが、番組の企画のために、フランソワーズモレシャンさんと何度か会いますが、一度もフランス語ができるとは言わなかったそうです。
1か月経って、ようやく自分はフランス語ができると話をしたそうです。
永瀧達治さんの話では、当時、若いのにフランス語ができると生意気でキザと、嫌われたそうです。
しかもテレビ局なので、フランス語ができるといじめにあいそうでした。
フランソワーズモレシャンさんは、日曜日の夜の7時、ホテルのロビーで永瀧達治さんが歩いて来たのを見て、足が長くて”う~ん、この男は美味しいですね☆”と一目ぼれでした。
でも、若く見えたので、本気になってはダメと思ったのだそう。
そのころのフランスでも、年上の女性とつきあったり結婚は、あまりありませんでした。
ともかくつきあうようになったのですが、当時、週刊誌がかぎつけます。
シャンソン関係の仕事をしていた永瀧達治さんの所へたまたま美輪明宏さんが遊びに来たので、相談しました。
すると「人に書かれるより、先に発表しちゃいなさい。いいじゃない、国が違っても、年がちがっても関係ない」と言われ、勇気づけられました。
バルバラの「黒いワシ」をフランソワーズモレシャンさんが永瀧達治さんの番組に出演した時に使いましたが、バルバラの黒髪や雰囲気がフランソワーズモレシャンさんと重なったところがあったとか。
現在は、フランスのシャンソン関連の仕事をしています。
フランソワーズモレシャンのcmや金沢!
サントリーのエファージュのCMに出ているのは、あのフランソワーズモレシャンさんではと思った人も、少なくないと思いますが、エファージュのCMに出ているのは、ハーフモデルの我妻マリさんです。
90年代より10数年間、石川県加賀市にてアトリエを持ちます。
永瀧達治さんは神戸生まれの大阪育ちですが、こもれるような書斎を探していました。
金沢に移ろうと考えていた頃は、新幹線がなく、隠遁のような憧れがありました。
そこへ正面に兼六園のある景色の良いマンションを見せられて、この景色がいいと思って住むようになりました。
ずっと、馬車馬のように働いてきたので、ゆっくり買い物をしたりするのに金沢は、良いところと思い、知り合いなどもいた事もあり、縁があったようです。
でもお墓は、永瀧達治さんの実家の有名なお寺にある代々のお墓にフランソワーズモレシャンも入る事になっています。
まとめ
かつてフランス人の外タレの代表と言っていい存在と言えば、フランソワーズモレシャンさん。
フランス語なまりの日本語が、どことなくおしゃれな感じでした。
ただ日本語が上手なフランス人なのかと思っていたのですが、もともとフランス語会話の番組に出ていたことから人気になったんですね。
それ以降、多彩な活躍をされ、現在でも、世界を飛び回る生活をされていて、80歳過ぎているとは、とても見えず、ビックリです!!
いまだに夢見る少女のようで、本当にご主人の事が好きなんでしょうね。
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