熊谷真実さんが主演を演じたNHKの朝の連続テレビ小説「マー姉ちゃん」の主人公「磯野マリ子」のモデルである長谷川毬子さんは、国民的漫画「サザエさん」の原作者長谷川町子さんのお姉さんになります。
「マー姉ちゃん」は、「サザエさん」を生み出した長谷川町子さんを影で支える縁の下の力持ち的な存在。
そんな「マー姉ちゃん」のモデルの長谷川毬子さんの結婚や挿絵イラスト、プロフィールなどをまとめました。
長谷川 毬子(長谷川町子姉)結婚は?
昭和14年、毬子さんに挿絵を依頼した朝日新聞記者の東学(あずままなぶ)氏と出会います。
結納を交わし結婚式を挙げますが、その後、東学氏に召集令状が届き出征し、インパール作戦で戦死。
わずか一週間の結婚生活。
長谷川 毬子(長谷川町子姉)挿絵イラストは?
挿絵は、現在で言うところのイラストになります。
いま、労務調製令や徴用について平井恒子が厚生省の担当官から話を聞くという記事を読んでいたんだけれど、何気なく後ろのページを見たら、「サザエさん」の長谷川町子の姉である長谷川毬子の手になる挿絵が。(『婦人倶楽部』1942年3月号より) pic.twitter.com/BX3Y6MFF4Y
— 若林 宣 (@t_wak) January 11, 2016
渋い!!
2016年に長谷川町子美術館で「長谷川毬子と長谷川町子二人展」が開催され、長谷川毬子さんの作品が展示されました。
今日まで長谷川毬子と長谷川町子二人展をやってて二人の絵や漫画、挿絵が展示。明日から展示替え休館。7/16からアニメサザエさん展。普段は町子さん収集の美術品の展示が主だから私みたいなアニメにしか興味ない人は次がチャンス~(*^^*) pic.twitter.com/vAYDu80M4d
— れお (@leona0913) June 19, 2016
本格的な日本画ですね。
長谷川 毬子(長谷川町子姉)写真は?
こちらを拝見すると、マー姉ちゃんのモデルとなった毬子さん、熊谷真実さんと似ているかも。
長谷川毬子の死因や子孫は?
2012年(平成24年)1月29日に96歳でお亡くなりになられていますが、天寿を全うしたとだけで、詳しい死因については触れられていないようです。
毬子さんの直接の子供はいません。
長谷川毬子の経歴やプロフィール
生年月日:大正6年(1917年)8月8日
佐賀県小城郡東多久村(現・多久市)生まれます。
父の長谷川勇吉は技師でしたが、起業し福岡に移り住みます。
筑紫女学園を卒業
昭和8年3月、勇吉は肺炎を患い闘病の末、51歳で亡くなります。
昭和9年4月、現代よりもシングルマザーが生きていくのは厳しい時代に、母の貞子さんの決断で、一家は上京。
貞子さんは、次女の町子さんが、漫画に向かう姿から漫画家の田河水泡に弟子入りを決めます。
毬子さんには、画家としてデビューさせるために、洋画家の大家・藤島武二に弟子入りさせ川端画塾にも通わせます。
昭和13年、毬子さんは挿絵を描き始めます。かすかなつてを頼って菊池寛のところに行くと、その才能を認められ、雑誌から注文が殺到!
昭和21年姉妹社を設立し、毬子さんは、町子さんの作品の出版のため営業、販売、企画と尽力します。
昭和60年、長谷川美術館が開館します。
平成4年5月27日、町子さんの死去とともに長谷川美術館の館長に就任。
平成5年、姉妹社を解散。
まとめ
漫画「サザエさん」は、世田谷の中流家庭を描いたと言われますが、庶民的で憎めないキャラクターに子供心にも和んだものです。
しかし、長谷川一家の現実は漫画とは異なっている部分もあったようです。
参考資料は、ドラマ「マー姉ちゃん」の最終回まで見終わった後に読むことをおすすめします。
参考資料:
コメント
人生いろいろ、鞠子さんの献身的出版販売世界一面白い本でも苦労するので、その他の出版は
其れこそ地獄みたいのものだ。人の10倍働いて、10倍良い志を守って、周囲に感謝し、自分をつつましく勤勉、毎日上進してもだれも成功を約束できない。成功には天時、地の利、人和は必ず必要で数々難しー人にできない何倍の苦労があってこそチャンスが巡るかもで、めぐらないのもある。でもいつまでも組織の言う東リでしっぽの人間でつつましく過ぎるか
自分御大きな勇壮掲げ頑張って抜きれる創業家になるかどっちも成功は簡単でないが、死に物狂いに挑戦は思想と志があって世のための事マイシンすれば必ず当たらずとも遠からず、性悪はたとえ成功しても必ずあとくされで平和がない。良いことの返しはいついかわからないが
悪いことの返しは子孫延々かならずついて地獄いき。積善は人生に必ず必要な事項自分を守るにはよく勉強し積善するのが唯一の方法。